連載第8回 言葉が飛び立つ時
6歳児とWindows 98
ぼくが初めて「キーボード」という未知の機械に触れたのは、まだ世の中の仕組みも言葉の重みもろくに知らなかった6歳の秋のことだった。きっかけは、ある日突然わが家にやってきた一台のパソコンである。
それは今の薄型でスマートなノートPCとはまるで違う、ごっついデスクトップパソコンだった。デスクの奥まで占領する重厚なブラウン管モニターに、グレーとブラックの無骨な本体。電源を入れるとブーンと低く唸りを上げ、画面の端には「Windows 98」というロゴ文字が誇らしげに印字されていた。幼いぼくにとってその巨大で機械感あふれる姿は、まるでアニメに出てくるガンダムのコクピットを目にしている感覚で、いかつくて圧倒的な存在感を放っていた。
手前にでんと構えるキーボードも、指を乗せて押し込むと深々と沈み込み、1つひとつのキーがしっかりと重みを持って返ってくる作りになっており、6歳の小さな指先には少し大きくも、どこか大人の世界へ繋がる秘密の道具のような格好良さを感じていたのだ。
百円ショップのソフト
そんなパソコンの導入とほぼ同時に、わが家にひっそりとやってきたのが一枚のCD-ROMだった。それは当時、百円ショップのダイソーの特設コーナーに並べられていたタイピング練習用のソフトだった。親からしてみれば「せっかく家にパソコンが来たのだから、何か子供の教育になれば」という軽い気持ちで購入したものだったのかもしれない。
しかし、幼いぼくにとってそれは教材などではなく、未知の巨大な機械の中で動く、最高に面白そうな新しいゲームにしか見えなかったのだ。
「ちょっとやってみようかな」。
普段から大人たちがパソコンを使う姿をじっと見て観察していたぼくは、その真似をするようにCD-ROMをドライブにセットし、慣れない手つきでマウスを操作してソフトを起動させたのだった。
言葉が生まれる感動
画面に表示される文字や単語に合わせて、指先でキーボードを一つひとつ叩いていく。その瞬間にぼくの全身を突き抜けたのは、これまでに経験したことのない鮮烈な感触だった。
キーを押し込むたびに指先に返ってくるズッシリとした心地よい抵抗感と打鍵感。そして静かな部屋に響き渡る、カチカチという重厚で規則的な機械音。その音と感触の気持ちよさに、幼いぼくは一瞬で引き込まれ、時間を忘れて無我夢中になってキーを叩き続けた。
当時のぼくは、一応言葉を喋ることはできたものの、自分の中で渦巻く複雑な思いや感情を、咄嗟に言葉にして相手に伝えることがとても苦手だった。頭の中にはたくさんの伝えたいことやイメージがあるのに、いざ口を開くと上手く言葉が繋がらず、もどかしさや寂しさを抱えることが日常茶飯事だったのだ。
そんなぼくにとって、画面上で繰り広げられる現象はまさに魔法のようだった。ぼくが指先でキーをひと叩きするたびに、黒い画面の上に確実に、一文字ずつ美しい文字が立ち現れていく。指先から伝わる打鍵の確かな感触が、そのまま「言葉」という目に見える形になって目の前に紡がれていく姿に、ぼくは幼いながらに言葉では言い表せないほどの深い感動を覚えたのである。
感覚で覚えたローマ字
何より面白かったのは、ぼく自身が「あ」は「A」、「か」は「K+A」といったローマ字の理論や五十音の変換ルールを教科書で勉強して覚えたわけでは全くないということだ。頭の中で「『き』だからKとIを押さなきゃ」と一度思考を挟むのではなく、画面に現れる文字を見た瞬間、指先が吸い寄せられるように自然としかるべきキーへと動いていた。
指先の押し込む感触、静かな部屋に響く心地よい打鍵音、そして画面上の文字が変わっていく視覚的な変化。それらの刺激すべてが一連の「ワクワクする体験」として身体に直接染み込み、気がついたときには呼吸をするように無意識に打ち込めるようになっていたのだ。
大人たちから見れば、アルファベットの知識すらまだ満足にない6歳の子供が、複雑なキー配列を迷わず叩いているのは不思議に映ったかもしれない。しかしぼくにとってそれは勉強などではなく、お気に入りの楽器を叩いて思い通りの音を鳴らす演奏のようなものだった。頭での理屈や理論を飛び越えて、完全に指先の「感覚」と身体の記憶だけでマスターしてしまったのである。画面に向かってひたすら打ち込みを続け、心地よい打鍵音を部屋中に響かせているうちに、ぼくは6歳にしてすっかりローマ字入力を自分の一部にしていたのだった。
ぼくの発信の原点
話し言葉で思いを伝えるのに苦労していた幼いぼくにとって、キーボードは単なる入力機器ではなく、「自分のペースで、自分の思いや言葉を確実に生み出せる魔法の道具」となった。
あの日、わが家にやってきたWindows 98のごついキーボードとの運命的な出会いと、指先に残ったあの誇らしい感覚こそが、今こうして文章を書き、自分の内面を言葉にして社会へと発信し続けているぼくの、すべての原点なのである。このあと、10歳からのパソコン教室や中学校での出来事を通してますますタイピングを深めていくことになるのだが、その話はまた別の機会にゆっくりと書きたいと思う。

