連載第2回 遠かった言葉たち
毎年6月16日は、発達障害を多様な個性として尊重する「ニューロダイバーシティ・プライドデー」です。
「自閉などの特性に誇りを持とう」というこの日にちなみ、今回は すどうたくみのエッセイをお届けします。
おだいばしてぃ
僕が「ダイバーシティ」という言葉を初めて耳にしたのは、今から7年前の秋だった。10月の終わり。秋が深まり、少し冷え込んできた日のことだ。Amazonの方が講演に来るという。僕の所属していた「インターアクトクラブ」のメンバーも、いつもになく真剣な面持ちだった。会場となった図書館の窓の外は、どんよりとした曇り空だったけれど、室内は生徒たちの期待と緊張で、少し温度が上がっているように感じた。
そんな中、僕の英語の師匠である顧問の先生が、さらりとその言葉を口にした。
「よく聞きなさい、Diversityというのはね——」
先生は英語の教師だけあって、驚くほど発音が良かった。そのネイティブな響きが、当時高校2年生の僕の耳にはあまりにも「良すぎた」のだろう。意味を咀嚼するよりも先に、僕の脳内では勝手な変換が行われていた。
(おだいばしてぃ……?)
正直に言えば、真っ先に頭に浮かんだのは「お台場にある、あのショッピングモールのことかな?」という、場違いな勘違いだった。具体的には、ダイバーシティ東京・プラザ。巨大なガンダムのオブジェがそびえ立つ、あのお馴染みの光景だ。
「なんで今、学校でわざわざあの場所の話をするんだろう」
そんな風に、少し首をかしげながら、でもどこか聞き覚えのある名前に親しみを感じながら、その言葉を受け取っていた。
遠かった言葉
もちろん、師匠が教えてくれたのは商業施設の話ではなく、「文化的な多様性」のことだった。その後に行われた講演でも、熱のこもった話が続いた。けれど、正直に言えば具体的な内容はあまり覚えていない。ただ、「これからは多様性の時代だ」という話し手の強い熱量だけが、記憶の断片として僕の肌に刻まれた。当時の僕にとって、その言葉はまだ「誰かほかの人のためのもの」だった。インターアクトクラブで国際交流を語っていても、その存在意義さえはっきりとはわかっていなかった。
世の中で「LGBTQ+」という言葉が広がり始めた時期でもあり、「多様性というのは、きっとそういう人たちのことを指す、キラキラしたスローガンなんだろう」と、他人事のように眺めていた。
その後、僕は入退院を経験し、自分自身の特性と向き合う時間を過ごすことになる。自閉症という診断を受けた時も、どこか自分の中で「自分ではない誰か」の話を聞いているような、奇妙な距離感があった。ニュースで多様性の大切さが語られていても、僕の心はまだ、あの10月の曇り空の下に置かれたままだった。
閃光の瞬間
変化は、突然やってきた。社会の中で「普通」であろうと振る舞い、無理をして周囲に適応しようとする。そんな「社会的カモフラージュ」に僕の心と身体は限界を迎えていた。そのとき、景色が一変した。これまで遠い場所でキラキラ輝いていた「多様性」という言葉が、まるで意志を持っているかのように、すさまじい速さで僕の方へと歩み寄ってきたのだ。それは、暗闇の中に差し込んだ閃光のような体験だった。
「これは、お台場の建物の名前じゃない。僕自身の名前だったんだ」
そう気づいたとき、僕は、自分の言葉を綴り続けることを言葉に決めた。自分の中に渦巻く正体の知れない違和感や、世界とのズレを、自分の言葉で形にしなければならない。それは、生きるための本能に近い決意だった。
誇りとの出会い
さらに最近、僕は「ニューロダイバーシティ(神経多様性)」という言葉に出会った。自閉症やADHDといった脳の特性を、直すべき「障害」としてではなく、人類が持つ豊かな「バリエーション」として肯定しようという考え方。この言葉を知った瞬間、背中がゾクゾクしたのを覚えている。
「本当に、こんな言葉があるのか?」
最初は疑った。自分のようなあり方を、欠陥ではなく「誇り(プライド)」として認めていい日が本当にあるのか。けれど、6月16日が「ニューロダイバーシティ・プライドデー」であることを知り、僕は震えるような感動を覚えた。
まだまだ、この言葉は世間に浸透していない。だからこそ、僕はこうして文章を綴っている。ささやかなお手伝いかもしれないけれど、僕という一人の当事者の声を届けることで、一人でも多くの人にこの言葉の温かさを知ってほしい。僕もまだ、勉強中の身ではあるけれど。
指先から世界へ
師匠。あの時、あの図書館で、あの言葉を僕に投げてくれてありがとう。もし、あの美しい発音で「Diversity」という種を僕の心にまいてくれなかったら、今の僕はきっとここにいません。7年という月日を経て、その種は僕の中で、自分を愛するための大切な根を張りました。
今、僕はタブレットの画面に向き合っている。指先1本か2本。それだけで一文字ずつ、ゆっくりと言葉を紡いでいる。正直に言えば、この小さな指先から打ち出される言葉が、インターネットを通じて全世界に発信されるのは、とても怖い。自分のありのままをさらけ出すことは、裸で外を歩くような心細さがある。けれど、だからこそ。噓偽りのない、僕だけの言葉を紡いでいこうと思う。
6月16日。これから僕にとって、この日は「もうひとつの誕生日」になるだろう。自分をいたわり、支えてくれるすべての人に感謝し、一歩一歩、噛みしめるように生きていきたい。あの日の勘違いから始まった僕の旅は、今、ようやく自分自身の物語になった。僕は今日も、タブレットに指を置く。「僕」として生きていく、その決意を刻むために。

