連載第5回 ぼくは声が出ない
届かない言葉
ぼくの心の中は、いつも騒がしい。伝えたいこと、感じたこと、選ばれなかった言葉たちが、出口を求めて濁流のように押し寄せている。けれど、それが喉のあたりまでたどり着いた瞬間、目に見えない手に喉元をぎゅっと締められるような感覚に襲われる。物理的な圧迫感に呼吸が浅くなり、頭の中にある完璧な文章は、出口の前でバラバラに砕けていく。
「あーあー」「うーうー」
喉の締め付けに抗い、肺に残ったなけなしの空気を絞り出して、ようやく一文字目を放り出す。けれど、やっとの思いで声を出せたとしても、喉の奥にある「見えない拘束」は解けないままだ。一言発するたびに、全力疾走をした後のような激しい疲労感だけが積み重なっていく。
「もっと、喋りたいのに」「もっと、伝えたいことがあるのに」
僕の意志に反して、身体が拒絶反応を起こしている。世界が軽やかに次の話題へと進んでいくのを横目に、ぼくはただ、行き場を失い喉の奥に沈んでいく言葉の残骸を、じりじりと見つめていることしかできなかった。
凍り付いた顔
ぼくの心は誰よりも大きく揺れているのに、ぼくの顔は動かない。心の中では、花火が打ち上るような喜びや、胸が張り裂けるような悲しみが渦巻いている。それなのに、皮膚の一枚下にある筋肉たちは、深い眠りについたまま微塵も揺るがない。心と表情をつなぐ神経の束が、どこかで見えないハサミによって切断されているみたいだ。鏡を覗き込んでも、そこにいるのは見知らぬ「無表情な誰か」。その温度のない視線に、自分自身が一番傷つく。
——小学校の卒業アルバム。寄せ書きのページに書かれた言葉を、今でもぼくは鮮明に覚えている。
「たくみくんは、何を考えているのか最後までよくわからなかったけれど、話しかけると穏やかで優しそうだった」
毎日といっていいくらい、一年間も一緒にいたのに。一年の月日を重ねても、ぼくが何を考えているかさえ伝わっていなかった。
「ぼくは、そんなに無表情だったのか」
突きつけられた現実に、言葉を失った。一見その温かいその言葉は、ぼくの存在を霞のように薄めていく、鋭い刃だった。「たくみくんは、きっと何も考えていないんだよ」。誰かがそう口にするのを聞いたとき、ぼくの中で何かが激しく弾けた。何も考えていない?こんなに、こんなに頭の中は騒がしいのに。この沈黙の中に、どれだけの言葉が渦巻いているか、誰も知らない。腹が立って、腹が立って、仕方がなかった。ぼくは手に持っていた下敷きに、油性ペンで「怒っている顔」を殴り書きした。それはぼくがどうしても作ることのできなかった、剝き出しの表情だった。その子の目の前で、ぼくはその下敷きを「バキリ」と折った。
「これを見ろ、これがぼくの本当の顔だ」
声にならない叫びが、折れたプラスチックの鋭い音となって教室に響いた。鏡の中のぼくがどれほど穏やかに見えても、ぼくの心はいつだって、折れた下敷きの断面のように鋭く、血を流していた。
テンポの壁
会話は、よくキャッチボールに例えられる。飛んできたボールを正確に受け止め、相手が受け取りやすい場所へ、素早く投げ返す。そんな当たり前の動作が、ぼくにはどうしてもできない。もし、次に来るボールがわかっていれば。あらかじめ予測さえできていれば、ぼくは時間をかけて準備をととのえることができる。けれど、実際の会話は予測不能なプロ野球の試合のようだ。
次にどんな変化球が来るのか、どこに打ち返されるのかもわからないまま、ぼくはフィールドに立たされる。運よくボールをグローブに収められたとしても、本当の戦いはそこからだ。一刻も早くボールを投げ返さなければならない。相手を待たせてはいけない。リズムを壊してはいけない。その強烈なプレッシャーが、ぼくの腕を、指先を、さらに固くこわばらせる。
実際、ぼくがせっかく言葉を作り出したとしても、そこには残酷な「時間のねじれ」が存在する。ぼくにとっては、喉の締め付けを突破しようと格闘している「一生懸命な3秒」だ。けれど、外側の世界では、その3秒は何倍にも引き延ばされた「拒絶の沈黙」として映っている。相手はぼくが返事をしないと見なし、次の話題を話す準備を始めているのだろう。ぼくがようやく声を絞り出し、言葉を放とうとするその瞬間。決まって相手も、別の話題を話し始めている。ぼくの言葉と、相手の新しい言葉が、空中でぶつかっては弾け飛ぶ。
「あ……」
重なった声をあわてて引っ込めるのは、いつだってぼくの方だ。せっかく編み上げた言葉が、ただの「ノイズ」として処理される。それを経験するたびに、ぼくはさらに言葉を出すのが怖くなる。喉の奥はさらに固く閉ざされ、ぼくは自分だけの沈黙の世界へ、より深く沈み込んでいくしかなかった。
身体の叫び
言葉を封じられ、表情を奪われ、テンポからも取り残される。けれど、出口を失った感情は消えてなくなるわけではない。それはぼくの内側で逃げ場を失い、激しくのたうち回り、やがてぼくの意志を追い越して身体から噴き出していく。「社会的カモフラージュ」。ぼくは、命がけで演じていた。周囲に合わせ、異常だと思われないように、内側の嵐を必死に抑え込む。
けれど、そんな無理がいつまでも続くはずがない。限界が来ると、体調は崩れ、身体は言うことを聞かなくなる。抑え込んでいたものが決壊した瞬間、ぼくは「大パニック」に飲み込まれる。ものを投げ、時に人に当たり、最後には行き場のない怒りと悲しみをぶつけるように、自分の身体を強くつねる。そうして自分の皮膚を傷つけることでしか、内側の耐え難い熱量を鎮める方法が見つからなかった。世間はこれを「問題行動」とか「行動障害」と呼んだ。奇妙で、理解しがたい、制御すべき「症状」だと。
けれど、それは違うんだ。あれは、ぼくにとっての唯一の言語だった。喉から出せなかった数千の言葉が、表情になれなかった無数の熱情が、身体の動きとなって、漏れ出していただけなのだ。ぼくの揺れは、叫びだった。ぼくの自傷は、「助けて」という悲鳴だった。ぼくの疾走は、「生きたい」という祈りだった。
普通の願い
本当は、ただ、普通に会話したかった。飛んできた言葉をその場で受け止め、すぐさま笑顔で投げ返す。そんな誰もが当たり前にこなしている「日常」という名の奇跡に、ぼくも参加してみたかった。面白いときに、喉を鳴らして笑ってみたかった。悲しいときに、瞳を濡らして誰かに寄り添いたかった。けれど、ぼくの身体という楽器は、あまりに不器用で、あまりに繊細すぎた。どれほど心に火を灯しても、それが声や表情という形になって外へ届くことはなかった。
この沈黙の奥にある、熱すぎるほどの生の実感に、誰かに気づいてほしかった。ぼくがただ黙って座っているときも、あるいは制御不能な動きで暴れている時も、その真ん中には「伝えたい」と願う、一人の人間がいたことを——。自分を殺すように抑え込み、それでも溢れ出してしまう「叫び」に絶望し始めていたあの頃。自分の身体さえ信じられなかったぼくの物語は、ある「食卓」との出会いによって、少しずつ色を変え始めることになる。
『磯の香りが潮風にまじって漂い、浜辺には夏を楽しむ人だかり。』
ぼくは今日、また一つ歳を重ねる。かつてのぼくには想像もできなかったけれど、今なら思える。歳を重ねることは砂浜で貝を集めるように、また一つ「希望のかけら」を集めていくことなのだと。十数年前、暗闇の中にいたぼくは、まだ自分を祝う方法を知らなかった。——今年の誕生日を、ぼくは心から祝えるのだろうか。

