『自閉症のぼくは今日もnoteをかきつづける』 第6回「『うん』の魔法とハンバーグ」

連載第6回 「うん」の魔法とハンバーグ


自閉症のぼくの朝
朝、目が覚める。この日は母の病院へ付き添う日だった。
ぼくは昔から病院が苦手だ。総合病院は人が多く、いつ呼ばれるかわからない待ち時間がある。待合室には独特の閉塞感があり、それだけで息苦しくなることもあった。それに、ぼくはじっとしているのが苦手だった。今ではADHDの傾向があると言われているけれど、当時はそんなことは知らなかった。ただ、とにかく落ち着かない。少し歩きたい。外の空気を吸いたい。売店をのぞいてみたい。そんな気持ちが次々と湧いてくる。けれど病院では、それがなかなかできない。いつ名前が呼ばれるかわからないからだ。「まだ呼ばれないよ」と言われても不安は消えない。席を立った瞬間に呼ばれるかもしれないし、戻ってきたら自分の座っていた席がなくなっているかもしれない。歩き回りたい気持ちと、その場を離れられない不安。その二つの間で、ぼくはずっと揺れていた。

母の付き添いだから、「行かない」という選択肢はぼくにはなかった。本当は家で休みたい日もあった。それでも当時のぼくは、無理をしてでも母に付き添っていた。病院へ向かう車の中で、ぼくはハンドルを握りながら流れていく景色を眺めていた。まだ何も始まっていないのに、もう疲れていた。

ここで読んでいる方は、「自閉症なのに運転できるの?」と思われたかもしれない。ぼくだって、本当は運転したくない。運転はとても疲れるからだ。でも、車がなければ生活できない地方都市では、運転できる人がぼくしかいなかった。幸い、ぼくは子どものころから乗り物が大好きだった。その「好き」を火事場の底力に変えながら、なんとか今日までハンドルを握り続けてきた。


大変な一日
病院に着いてからも気は休まらなかった。待合室では、人の話し声があちこちから聞こえてくる。さらに、定期的に鳴る「ピンポーン」という呼び出し音が、ぼくにはとても苦痛だった。ぼくはあまり聴覚過敏の特性はないと思っていたけれど、突然鳴る音にはとても驚いてしまうのだ。今では耳栓という対処法を身につけたけれど、当時のぼくはそんな方法を知らなかった。ただ耳をふさぎ、早く終わってほしいと願うことしかできなかった。

それでも席を立つことはできない。少し歩きたい。外の空気を吸いたい。そんな気持ちはあるのに、いつ呼ばれるかわからないからだ。席を離れたときに呼ばれたらどうしよう。戻ってきたら座る場所がなくなっていたらどうしよう。そんな不安ばかりが頭をよぎっていた。それだけではない。母の診察では、ぼくが母に代わって説明をしなければならないこともあった。人前で話すことが苦手なぼくにとって、それはとても大きな負担だった。母の様子を伝えようとしても、うまく言葉が出てこない。間違えたらどうしようという不安もある。母のためだからと、清水の舞台から飛び降りるような覚悟で頑張る。けれど、頑張れば頑張るほど疲れていく。診察が終わるころには、ぼくの頭の中はすっかり空っぽになっていた。

ようやく病院を出て車に乗り込む。シートに身体を預けた瞬間、どっと疲れが押し寄せてきた。

「もう家に帰ったらすぐに寝たい。」

そのときのぼくは、本気でそう思っていた。


今日、何食べる?
病院を出る頃には、ぼくも母もすっかり疲れ切っていた。朝から診察や長い待ち時間を過ごし、母も相当疲れていたのだと思う。車が走り出してしばらくすると、母がぼくに聞いた。
「今日の夜ご飯、何食べる?」
ぼくは昔から、この質問が少し苦手だ。本当に食べたいものを考える前に、頭に浮かんだ言葉をそのまま答えてしまうことがある。その日もそうだった。

「ハンバーグ」
気づけば、そう答えていた。

けれど正直に言うと、そのときは特別ハンバーグが食べたかったわけではない。朝から楽しみにしていたわけでもない。ただ、その瞬間に頭に浮かんだものがハンバーグだっただけだ。
すると母が言った。
「じゃあ、さわやか行く?」
その言葉を聞いた瞬間、少しだけ気持ちが動いた。さっきまで「家に帰ったらすぐ寝たい」と思っていたのに、不思議なものだ。疲れがなくなったわけではない。それでも、さわやかのハンバーグを思い浮かべると、ほんの少しだけ元気が戻ってきた気がした。

ぼくは小さくうなずいた。
こうしてぼくたちは、静岡県浜松市へ向かうことになった。


約束の道
——こうしてぼくたちは、静岡県浜松市へ向かうことになった。さっきまでのぼくは、家に帰ったらそのまま寝てしまいたいと思っていた。それなのに、不思議なことに車を走らせているうちに、少しずつ気持ちが変わっていく。

もちろん、運転は楽ではない。ルートを確認し、道路標識や車線を見て、対向車や後続車にも気を配る。渋滞や工事で予定どおりに進まないこともあるし、急に予定が変わると頭の中が混乱してしまう。ぼくは後ろを走る車もとても気になる。バックミラーを見るたびに、後続車が近づいているように感じて不安になり、パニックになって右手でドアを叩いてしまうこともあった。それでも、目的地が決まっているだけで少し安心できる自分もいた。

浜松に近づくにつれ、胸の中に小さな期待が生まれてくる。そして三ケ日インターチェンジを降りる。見慣れた景色が少しずつ増えていく。もうすぐだ。そう思いながら車を走らせる。右へ。左へ。また右へ。浜名湖岸の曲がりくねった道へ入ると、いつも少しだけ気持ちが軽くなる。ここまで来ればあと少し。疲れ切っていたはずなのに、気づけば心はさっきより軽くなっていた。ぼくにとって、この道はただの通り道ではない。あの「うん」が待っている場所へ続く道だった。


魔法のハンバーグ
お店の駐車場に車を停める。エンジンを切ると、それまで張りつめていた気持ちが少しだけほどける。ここまで来た。そんな安心感があった。店内へ入ると、あの香ばしい炭火の匂いが鼻をくすぐる。鉄板の上で焼かれるハンバーグの音。店員さんたちの元気な声。そのどれもが、さっきまで病院で感じていた苦しさとはまるで違っていた。土日祝日や長期休みには二時間を超える待ち時間ができることもある人気店だが、平日の昼過ぎは比較的空いている。人もそれほど多くなく、ぼくたちは落ち着いて食事を楽しむことができた。

席に案内され、ハンバーグが運ばれてくるのを待つ。今思えば不思議だ。病院を出たときは、特別ハンバーグが食べたかったわけではない。ただ頭に浮かんだから答えただけだった。それなのに、目の前に熱々のハンバーグが運ばれてくるころには、すっかりその気になっているのだから不思議である。店員さんがハンバーグを半分に切り、切り口を熱い鉄板に押しつける。

「じゅうううううう」

あの音が響く。ぼくはこの瞬間が大好きだ。一口食べる。すると自然に首が動く。
うん。うん。うん。おいしい。

自分では意識していないのに、本当においしいものを食べると、ぼくはいつも頷いてしまう。
うん。うん。
  (今日も頑張った。)
うん。うん。
  (疲れたけれど、来てよかった。)

周りから見たら少し変わっているかもしれない。だって、「うん、うん」と言いながら体を前後に揺らしているのだから。でも、ぼくにとっては大切な時間だった。病院で感じた息苦しさも、不安も、運転中の緊張も、このときだけは少し遠くへ消えていく。気づけば、さっきまで空っぽだった心も、お腹も満たされていた。たぶん、ぼくにとっての「うん」は、おいしいという合図だけではない。

  (頑張ったね。今日もおつかれさま。)

そんな自分への言葉でもあったのかもしれない。


あの日の「うん」
たぶん、ぼくにとっての「うん」は、おいしいという合図だったのだと思う。病院で疲れた日も、うまくいかない日も、あのハンバーグを食べれば自然と首が動いた。うん。うん。それは今日という一日を締めくくる、小さな魔法だった。

今のぼくは、ふつうのハンバーグを食べることができない。偏食が強くなり、ひき肉がほとんど食べられなくなってしまったからだ。普段食べるのは魚が多い。それでも、不思議なことに、あのハンバーグだけは食べることができる。焼いた魚をほぐしながら食べていると、ときどき思い出すことがある。病院で疲れ切った帰り道。母の「今日の夜ご飯、何食べる?」という一言。浜松へ向かう車の中。鉄板の上で響く「じゅうううううう」という音。そして、首を上下に動かしながら食べたハンバーグ。今でもときどき、あのハンバーグを思い出す。